『The Last of Us partⅡ』で踊る。【感想】

※バレは最低限にしたつもりですが、気になる方は"少なくとも"チャプター「シアトル1日目」になるまでプレイしてから見るのをおすすめします。

 

 前作の『The Last of Us』は当時主流となりつつあったオープンワールド路線と正反対のリニアなゲームだった。

テーマも単純明快で、娘を失くした父がふと出会った少女とある種家族のような関係性を築いていくという手垢にまみれたもの。

しかしそんな古臭いTPSが2013年のGOTYを獲得したのは当時最高レベルのグラフィックやグロテスクな演出、そしてなにより登場人物の複雑な感情変化をドラマチックに捉えたストーリーによるものだ。誰も文句は無かっただろう。

なぜ世界中がこのオールドスタイルなゲームに感涙したのかといえば、『The Last of Us』が“ゲーム”というメディアで存在しているという理由に他ならないだろう。自らの手でジョエルを動かし、エリーを守り、進む為に橋を掛けた。

 

そうしてきた結果、崩壊した世界で生き抜く人々とエリーのどちらも手放したくないという複雑な感情をキャラクター達を通して抱いてしまうのだ。僕は終盤のジョエルの選択を否定しながらもその心情に痛いほど共感することができた。

エンディング。ジョエルとエリーの物語は後味の悪い結果を残しながら終わっていった。あれで終わりだったのだ。曖昧な言葉と横目に広がる過酷な世界がすべてである。

きっとテレビの前で流れる映像を見ているだけではここまで感情は揺さぶられなかったはずだ。

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間違いなく名作だ。

だから『The Last of Us partⅡ』の発表を聞いた時僕は茫然としていた。

「成長したエリーとかあの完璧なラストに続編を付けるってめちゃくちゃ野暮じゃないか。もしどんなに素晴らしい続編でも前作を超えるなんて叶いっこない。」

そんなことを考えて、でもやっぱり2人の結末を知るべきである気がして。僕は発表当初から発売直前までプレイするか否かでずっと悩んでいた。だから結局このゲームをプレイする理由の8割は義務感によるものだ。めんどくさいオタクだ、僕は。

 

さて、結果的にこのゲームは前作を超えることは無かった。しかし素晴らしいゲームである。僕はそう思った。

物語はジョエルがWLFという集団に殺されることで動き出す。彼の死抜きで話を進めることは不可能だ。エリーの復讐心が全編を通しての原動力になっているのだから。

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とてもつらい

愛をもって触れていたキャラクターが惨殺されるのはやはりショックで直視し難い光景だったが、特段怒りを感じることは無かった。エリーの言う通りジョエルは「敵の多い男」であったし、同時に「世界を捨てた男」であるからだ。

シリーズが続く以上いつかは清算しなければならない問題だったし、過程がどうあれ人間らしい死様は迎えられないと思っていた。ただその時が来たということなのだろう。

そうは言いつつやはりめちゃくちゃ悲しかったが。

 

このゲームはとにかく暗く重ったるい空気が続く。エリーも常に復讐の機会を伺っていて「あそこにはヤツがいて、アイツはそこにいる」と気を張り続けているからだ。復讐に比重をおいた弛緩のないストーリーはプレイしていて息苦しさを感じた。

それに加えてゲームの大半を過ごすことになるシアトルも基本的に曇りで時が進むにつれ雨脚も強くなる。現実の天気も合間って最悪の精神コンディションで挑む復讐だった。

 

とはいえ、ゲームプレイは素晴らしいと胸を張って言い切れる。モーションひとつひとつが非常に丁寧だし、もちろんグラフィックもノーティドッグらしい品質。

崩壊したシアトルがもつ湿った表情と探索も違和感なく合致している。これ見よがしに「ここにアイテムあるよ」という雰囲気を放っていないのだ。かつ導線も非常に自然でどのように設計しているのか不思議としか言いようがない。

戦闘もほふくや草むらといった要素が追加されてたことにより幅が広がり、かつ懐の深いステルスが可能となったことで前作と比べててレベルが何段階も上昇している。新たに登場する敵も秀逸で、常に新しい緊張と切迫感を与えてくれる。続編として完璧だろう。

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湿っぽい空気感の表現は圧巻だ。

しかし今作は戦闘で大きな間違いを犯しているように思える。

それは敵NPCにそれぞれ名前が設定されいるという点だ。戦闘中、もし仲間が死亡したことに他NPCが気付くと悲痛にも名前を叫ぶという演出があるのだが、別にこちらとしてはなんの感情も湧かないのだ。

そういった作りこみは復讐というテーマに加え、普段より圧倒的な暴力性を描いてきたこのシリーズではあまりに独りよがりで独善的な行為に思える。

やりたい事はわかる。モンハンをやっている横から「モンスターにも家族がいるのに」と憐まれるようなアレだ。それぐらい理解してはいるが、殺さなければ先に進むことの出来ないゲームにおいてそういった要素は……そりゃあリアルではあるが罪悪感に昇華されることは決してないだろう。

 

なぜならこの手のゲームにおいて死が持つ価値はメレンゲより軽いからだ。彼らがヒトだろうが飛竜種であろうが、いくら肉付けしたところで結局はゲームを進める上で立ちふさがる当たり判定でしかない。どうやっても開発とプレイヤー間にあるこの認識の差は埋まることが無いと思う。

その上因縁のある相手は全員カットシーンでの殺害になるのはこのゲームのよくない点だろう。そのため、一人一人に名前という薄い個性を与えるより因縁の相手を超耐久で登場させれば良かったと強く思う。リアルリアルと言えば聞こえはいいが必要な部分は「ゲーム的」でいいのだ。だってゲームだから。

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そうでなくても印象的に描くべきではある。

ゲーム上で行われる殺人の意味は後で考えればいいのだ。殺した相手の近しい人物がナイフを携えてこちら向かって来た時に初めて行動に理由や結果は加わるのだ。

 

繰り返すが、人殺しゲームにおいて「死」の価値は低い。唯一「死」に強い価値を与える方法があるとすれば、プレイヤーに人物へ強く感情移入させることだろう。僕たちにとってのジョエルのように。

で、肝心なこのゲームはというとキャラ描写がすこぶる巧い。

物語中盤までプレイすると、エリーからある人物へ視点が変わり操作することになるのだが、そのキャラは明らかにジョエルを模倣したものになっているのだ。彼と同じく近接は素手であるためナイフをクラフトする必要があり、仲間のために橋をかけ、13歳の少年と行動を共にし、組織を壊滅に追いやることになる。

 

ノーティドッグは性格が悪い。そんなジョエルに似たキャラクターを動かしていると、それがどんな人物であれ徐々に懐かしさや親近感を感じざるを得なくなる。しかし肩入れしてはいけないことはわかっているのだ。なぜならプレイヤーは操作キャラにどんな未来が待っているか知っているからである。

それにエリーとは打って変わって復讐とは縁遠いストーリーとなったことに安堵しているのも事実だ。笑って泣いて、手を取り合って。起伏あるストーリーは素晴らしいものだと。

仲間キャラもエリー時よりこころなしか魅力的に映る。こちらのキャラにも辛いことは起こるが、それと同じぐらい人の優しさに触れることができるため復讐一辺倒だった心がフッと軽くなるのだ。

 

さらに今作は事あるごとに「良い思い出」を擦り付けてくる。過去の誕生日やあるクリスマスの思い出を追体験することができるのだが、そのどれもが暖かく切ない。そしてこれも二度と手に入らないものだということをプレイヤーは知っている。

本編とのコントラストがあまりに眩しく涙が浮かんでしまう。つらい。

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あの頃。

問題なのは、ゲームを進めるたびに激しく変化する僕の感情や意識の全てをノーティドッグは理解し、予想した上でこの辛く苦しい物語と一抹の温もりを用意しているという事だ。

ジェットコースターの到達点は高ければ高いほど良い景色を拝むことができる。しかし落下の勢いは指数関数的に増していくようなものだ。このゲームを楽しめば楽しむ分、後に最悪な気分になる事はわかりきっているのだから。

踊らされている自覚はある。しかし止める事ができない。だって踊る事はこんなにも楽しいのだから。

 

ジョエルが死ぬであろうことはわかりきっていた。復讐がテーマだとアナウンスされた時点で嫌な予感はしていた。だから僕は熱くなりきれないながらもジョエル殺しの連中を一歩的に蹂躙したかったのだ。「ほらみたことか」と、エリーに気持ちを重ねて。

しかしゲームがそれを許さない。なんなら物語を進めるにつれ逆にだんだんエリーが嫌いになってくる。お前が絡むと途端にストーリーが陰りだすからだよクソ!!このゲームが重い理由の100割がお前じゃねーか!!

とはいえそんな感情も冗談めいたモノであるから彼女への思いは7年前と変わらずそこにある。復讐だって遂げるべきだろう。二律背反でがんじがらめなこの思いはどうすればいい?ゲームは何も答えてはくれない。

辛い、苦しい、悲しいという感情の3Kが指に纏わりつき、格闘ボタンを押す動きを鈍くするばかりだ。

 

冒頭で述べた通り、前作は登場人物の複雑な感情変化をドラマチックに捉えた。プレイヤーはストーリーを進めることで「ああ、ジョエルその気持ちわかるよ」とキャラを通して共感を得たはずだ。

その点、感情変化を捉えたストーリ―であるという部分は『The Last of Us partⅡ』も同様なはずだ。しかし前作と大きく違うのは、感情の揺さぶり方をキャラクターの共感を介したものではなく、視点の変わるストーリーによって神の目を持つプレイヤーすらストーリーテリングとして利用することで獲得したということだ。

物語を多角的に捉えるという手法は多くの作品で行われてきた普遍的な構成だ。そんな単純な方法ではあるが、やはり“ゲーム“としてこのストーリーが存在することで神の頭をぶん殴ることさえ可能にしたゲームは非常に稀有であることは間違いないだろう。

 

確かに、ジョエルとエリーが好きで好きでたまらないほど今作に否定的な目を向けてしまうのは事実だろう。僕だって「ぼくのかんがえたさいきょうのラストオブアス2」をプレイしたかったという気持ちはある。前作のラストで隠した事実がどのように二人へ影響を与えるのか、回想ではなくじっくり見たかったとも。

しかし僕たちがプレイしているのはキャラゲーではない。過酷な世界で生きる人々の内、再び未来のエリーにスポットライトが当たったというだけなのだと思う。そして今作で描かれたのは正しくエリー達が選んだ道なのだ。誰に左右されることなく、今まで積み上げてきた人間関係や考え方、それらがすべての上に成り立つ物語。

それがどんな過程を通しどんな結末を迎えようと、そこにジョエルへの愛があればエリーの選択に抱く感情も少しは和らぐのだと思う。

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このゲームは「復讐は何も生まない」だとか「視点によって正義は変わる」だなんて説教めいたテーマをとっくに超越しているように思う。その説教を越えた先にある意地や義務感、葛藤の行く末にエリー達がどのように折り合いをつけるのかという人間模様を見事に描き切ったこの作品は傑作として存在するべきだろう。やはり前作を超えることは無かったが。

 

ゲーム体験でここまでつらい思いをしたのは初めてだ。しかもその思いが僕の良心からくるものなのが胸糞悪い。そしてそれを理解したうえでやっているノーティドッグが憎い。

今回の旅で目撃したものは失うばかりで実りの無いものだったのは確かだ。だがしかしこの憎しみの連鎖は誰かが止めなくてはならない。だから僕ぐらいは今作を認めてそれをやってのけようと思うのだ。

 

このゲームは徹底的にプレイヤーを弄び、精神的苦痛を与えようとしてくる。しかし僕たちはこの重さを耐えて生き抜かなければならない。

好きで、ゆえに辛くて、ムカつくが面白い。The Last of Us partⅡ』はそんなゲームだ。きっとこんなゲームは二度と生まれないだろう。

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このゲームがくれたものは良くも悪くも消えることは無いけれど。